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2006年04月16日

五色百人一首

[国語授業実践]

 岩波書店から毎年「読書のすすめ」という小冊子が無料で配られている。今年で第七集目を数えるくらいなので、読者から好評なのであろう。岩波文庫の体裁で、ただで貰えるし、ちょっとした読書の合間に読むのに都合がいい。
 そこには、一流の作家や著名人が読書についてのエッセイを書いている。過去には大江健三郎、大岡信、中野孝次など、淙々たるメンバーである。
 先日、本屋で偶然第七集を手に入れた。早速読む。三浦雅士の「読書と年齢」という文が気に入った。ちょうど私が今年から実践している「五色百人一首」「外郎売」の暗唱に都合のいい文章だったからだ。

 長くはなるが、以下、引用する。

意味を無視してただ暗記させるのは非人間的だと主張するものは、自分の体験を思い出してみるがいい。古典を一読していったいどれだけよく理解しえたか。年を経て片言隻句を思い出し、読み直して、ああそうだったのかと気づくのが読書というものなのである。意味を支えるのは人生経験の厚み以外ではない。  たとえば、「久方のひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ」でもいい。『古今集』の一首として十代に暗記したこの歌が、二十代のある春の日に不意に口の端にのぼる。その瞬間、春という言葉、花という言葉の奥行きが一挙に体得されるのである。それが鑑賞の基本であり、かつ、読書の基本、読書の醍醐味なのだ。『拾遺集』の「あひ見ての後のこころにくらぶれば昔をおもはざりけり」なら、さらに切実だろう。  意味があって言葉が求められるのではない。言葉が意味に寄り添う、いや、意味が灯(とも)るのである。(三浦雅士「読書と年齢」)

 今年の五年生の国語の目標として、暗唱を位置づけている。古今の名文を暗唱するというものである。
 五色百人一首はそのはじめで、百人一首を楽しみながら覚えようという試みである。
 この五色百人一首(東京教育技術研究所発売)には普通の市販されている百人一首とは違い、工夫が2点ある。
 1)百枚全部でやるのではなく、五色に分けられている。1試合20枚、およそ3分でできる。
 2)取り札のうらに上の句が書かれている。ゲーム中に見ることができ、ゲームをやりながら覚えることができる。
 こうして、子どもたちはゲームをしながら自然に一首ずつ覚えることができるのである。

 5年生では、今、百人一首が大ブームだ。
 先日、自学の日記に「百人一首対戦日記」を書いてもらった。一つ紹介する。

 「百人一首対戦日記」  私の周りからは、 「はい!」 という声が聞こえてくる。 「はい」 と同時に、 「バシッ」 という音も聞こえてくる。  今は百人一首のカルタをやっているのだ。中には強い人もいて、先生が、 「あしびきの〜」 と言った瞬間に 「はい!」「バシッ」 となり、カードをとる人もいる。  私も一生懸命にキョロキョロ探す。  私がとれなかったことが一度もないカードがある。  それは、 「いにしえの  ならのみやこの  八重桜  けふここのえに  におひむるかな」 だ。その他のカードは、とったり、とられたりしている。  今度は全部覚えて、勝負してみたい。

コメント

 4年前の文章です。今年も、百人一首はやってみたいと思っています。
ここのblogにコメントをつけてくれている、「みぃ、おも、anyano」はこの百人一首にどっぷりとつかったはず。今、百人一首に対してどんな感じを持っているのでしょうかね。

どっぷりつかりましたよ~。百人一首。リアルに一番から転落するのいやだったもん。さっちゃんと組めば無敵だし!笑
自学の日記に書いてることも、経験したなぁ。絶対これは譲れない!みたいなカードは確かにあった!(いまはもう思い出せないけど)
小学校のときは、意味なんかさっぱりだったけど、高校で古文をちゃんとやってればおもしろかったんだろうなぁと思いマス。
ただ、6年か、5年のときに、イケチのクラスと対抗戦みたいのをやったとき、絶対負けたくないと、大人気なく思ったのは覚えてます笑

対抗戦ですか。確かにそんなこともやりましたね。
意味は分からなくても、きっと体が覚えていると思います。
ところで、みぃは小学校の時の自学はまだ持っているのかな。ぼくは、確か「思い出自学」だったかな。きちんと製本をしたやつ。まだしっかりと持っていますよ。

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