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2006年04月02日

書くことと私(作文嫌いの理由)

[作文実践]

書くことと自分を考えてみる
 5年生になってから、国語の授業では書く機会が増えたと子どもたちが言っています。それは、私が自学に対しても文章を書くことを中心とした題材を与えていますので、この様に子ども達が感じているのは当たり前でしょう。
 文章を書くことが上手になるには、「書くこと」に対して抵抗を感じないようになることが一番大切です。たくさんの文章を書いて「書き慣れる」ことが一番なのです。
 さて、子どもたちは普段、書くことに対してどう考えているのでしょうか。

 まず、子どもの作文を読んで考えてみましょう。  この作文は、6月14日の国語の授業の時、10分間(おまけ2分)の正味12分間で、書いたものです。

 書くことと私  私は作文を書くのが好きだ。作文を書くことによって、みんなに自分の思いがとどくからだ。  私が小さいころ、むちゅうで毎日のようにやっていた事は、絵日記を書くこと。その日におきた事、楽しかった事などをわすれないように、いちいち絵日記につけていたのだ。  その絵日記は、今、お母さんの手元に6さつある。その中の5冊目の絵日記が、私の一番のお気に入り。  そのノートには、1年生になる前にどんな言葉をのこしたいとか、自分はどんな気持ちなのかということが、ぎっしりと書いてあるからだ。  そうして、小さいころから絵日記、または作文を書くことなどをみにつけているから、私は作文を書くのが好きなのだ。(5年女子A)

 とってもいい文章です。「作文を書くことによって、みんなに自分の思いがとどくからだ。」とは、言葉の本質を言い当てています。
絵日記を小さいときから続けてきたNさんはとても素敵な経験を得たのですね。

 書くことと私  私は書くことが好きです。作文を書いたり、手紙を書いたりと、いろいろな文章を書くことはけっこうとくいです。  なぜかというと、作文には自分の思ったことをそのまま書けるからです。  先生が、「今日は作文を書きます。」と言うと私はなぜかわくわくします。また、先生が「題名は○×という題で書きましょう。」と言うとそのしゅんかん、頭の中で「どうしようかな。あのことにしよう。」と考えます。  いつも先生が「はい、どうぞ。」と言うと、私はさっき思いついたことを、そのまま書き表します。みんなもしんけんに書き始めます。  ですから、私は作文が好きです。(5年女子B)

「作文には自分の思ったことをそのまま書けるからです。」と書いてくれたBさん、Aさんと同じように感じていることがわかります。文章を書くことで自己表現をしていることを自覚しています。

書くこととぼく
 ぼくは、作文はちょっと好きです。なぜかというと4年生で読書感想文を書いたからです。
 夏の宿題にでたとき、
「やだなぁ、やりたくないなぁ。」
と思いました。そしてやっと一冊の本に決めました。その本の題名は「アフリカのにじ」(キリンの話)です。その本を1時間で読み終わると、いつも書けなかった作文が、すらすら書けていき、あっというまに終わっていました。
 ぼくはこの本をみて自然の大切さを少し学びました。人間がすてたゴミなどを食べてしまって死んでしまった動物がいること。海がよごれてしまったことです。それを書くことによって少し思い出してくるような気がします。
 だから、作文は得意ではないけれど、今書いたように好きなところがあるので、少し好きです。(5年男子C)

C君はは読書感想文の体験から作文が好きになったそうです。感想文を書くことによってその本から「自然の大切さ」を学ぶ。それを文章にして書き表すことにより頭の整理が出来たのでしょう。すばらしい体験です。
書くこととぼく
 ぼくは、作文を書くのが5年生になったばかりの時は、すごく苦手でした。
 だけど、5年生になって1ヶ月ぐらいするとぼくは、作文が5年生になったばかりに比べてすごくうまくなっていました。
 ぼくは、5年生になっていけち先生に作文の書き方や、いっぱいかくコツなどを、教えてもらったから、これだけうまくなれたんだと思います。
 ぼくは、いまでは作文を書くのがとても苦手だったけど、ふつうになったと思います。
 どうしてかというと、書くスピードもむかしよりはやくなっているし、書くことを考えるスピードもかなりはやくなったと思っています。
 ぼくは、5年生になってよかったと思います。だって苦手だった作文がうなくなったからです。
 ぼくは、5年生の間にもっともっとうまくなって、1まいぐらい書けるようになりたいです。(5年男子D)

 こう書いてくれた、D君。先生はとってもうれしいです。5年生の担任になってよかったと思います。
 D君の作文のいいところは、以前の自分と、今の自分を比べて書いているところです。自然にこのように書くことは、なかなかできることではありません。
 また、これからの自分の目標が書けているのもいいです。もっとも、この作文はきっちり一枚書けていましたね。(very good です。)

■書くことが好きな人の共通点
 4人のお友達の作文を紹介しました。
 こうして並べてみると、次のような共通点を発見します。

作文に対して何らかの成功体験をもっている。

 例えば、Aさんは絵日記体験、Bさんは「思いついたことをすぐに書ける」こと、C君は読書感想文、そして、Dくんは自分の作文力の向上、となります。
 これは当たり前と言えば当たり前でしょう。自分にとっての自信とはこのように過去の経験でうまくいったと思えることがあって、それをもとに「自分はできるんだ」と考えるようになるのです。何も作文だけに限られたことではありません。
 と言うことは、どの子にも作文に対する成功体験を得させることで、作文が好きになると言える可能性があります。

■書くことがきらいな子
 では、書くことがきらいだと言っている子はどうでしょう。
 2つ例をあげます。

書くこととぼく
 ぼくは、作文がだいっきらいです。
 なぜかというと、作文を書くとき題名が思いつかないからです。
 なんの題名にしようかなっと考えているうちに頭をだれかにけられているような感じがするからです。
 ときどき、
「いててて。」
と、言ったりします。
 あともう一つは、小さいマス目に文字を1文字1文字書くからです。
 ぼくは、一回紙をやぶったこともあります。
 あと、もう一つは、きゅうに書けといわれても何を書けばいいのかをなやみ、こんらんしてしまいます。
 たまにぼくは、いらいらしてお母さんにあたります。(5年男子E)

 限られた時間の中で、一生懸命がんばって書いてくれた作文です。
 きちんと読むとこの作文のよさが分かります。「あ、これいいな。」というところがたくさんみつかります。思いつくいいところをあげてみます。
1.「ぼくは、作文がだいっきらいです。」と言って、その理由を「なぜならば」を使って説明している。
2.「頭をだれかにけられているような感じがするからです。」と、比喩表現が使われている。
3.「」の使い方がうまい。
4.ただ、嫌いだというのではなく、その理由がいちいち具体的である。
 ここまで上手に書ける子がどうして作文がきらいなのかと考えてしまいます。
 さて、彼が問題にしていることは次の4点です。
1.題名が決まらない。
2.小さいマス目に文字を入れること
3.(消しゴムで消すとき)紙を破ってしまった。
4.急に書けといわれても何を書けばいいのかわからない。
 次の例です。

書くこととぼく
 ぼくは、作文が大キライです。
 なぜかというと作文は、いろんなことを書くし、書くのがとってもめんどうです。
 しかも、作文は、四百文字を入れるなんて考えるだけでもやです。
 しかも、「、」や「。」や「」なんてやるだけでやです。
 いつも、ぼくは作文の宿題があると、絶対に最後にやります。
 とくに、フェアや運動会などは、最後がとってもやだです。作文の宿題がでるからです。
 でもぼくは、なれるようにと作文を書いています。
 なるべく、半分以上書けるようになりたいです。(5年男子F)

こう言っているF君は、書いている時間集中して作文用紙半分以上も書いてくれました。
 同じように「あっ、これいいな」と思われることをあげてみます。
1.すごく具体的に書かれている。(「、」「。」「」)など。
2.「フェアや運動会などは、最後がとってもやだです。作文の宿題がでるからです。」の気持ちがよく伝わってくる。
3.「でもぼくは、なれるようにと作文を書いています。なるべく、半分以上書けるようになりたいです。」と、自分の目標が書かれている。
 なんでこんなにうまく書けるのに作文がきらいなんだろうと、また、考えてしまいました。
 彼が考えている問題点は、以下の3つです。
1 400字書くのがいやである。→長く書くのがいや→長く書けない。
2 行事ごとの作文がいやだ。
3 句読点、かぎカッコを書くのがいや→表記の決まりがめんどうだ。

■作文嫌いの理由
 こうして、E君とF君の作文ぎらいの理由を私なりに整理してみると次のようになります。こうしてまとめてみると、これは私たちの教師の作文指導の問題点を二人ははっきり言い表しています。

1.長く書けない。
2.何を、どのように書けばいいのかわからない。
3.書き始めてから書き直すのがめんどうである。
4.様々な表記の規則がむずかしい。

 それぞれに、簡単に私なりのコメントをつけてみましょう。
1について
 作文は長く書く必要はありません。自分がここまでだと思ったところで終わりにしていいです。小学校卒業までに原稿用紙一枚をキッチリと書ければ十分です。
 1枚半とか2枚は構成の技術を身に付けなければうまく書けません。1枚をキッチリ書けるようになると、その応用で2枚、3枚は楽に書けるようになります。
2について
 これは一言では言えません。へんに考えすぎないで、思いついたことから書いてもいいと思います。
 また、私はよく、この負担をとるために書き出しの指示しています。
3について
これは推敲の問題。書き終わったらどう点検をするかは、また、別の機会に書くことにします。ここでは次のことだけ覚えてください。途中で書き直したくなっても、そのまま書き続けた方がいいということです。どうしても、大幅に変更する場合は、先生にもう一枚作文用紙をいただき、あらたに書き直した方がいいでしょう。
4について
 最小限の規則は覚えてください。次の3つです。
1.句読点  2.かぎカッコ  3.段落
 段落を意識して書き分けられるようになったら、作文は一人前です。 この3つの表記法は書き慣れてくると自然に身に付いてきます。

■作文嫌いの本当の理由
 しかし、ここで整理した理由だけで、この子ども達が作文をきらいになったとは思えません。
 では、ここまで上手に書ける子どもたちが、何で作文が嫌いと言っているのでしょうか。
 思い当たるふしがあります。以前、K君の自学をそのままプリントしてみんなに読んでもらったことがあります。そのときみんなの第一声は「字が汚くて読めない」でした。みんなはわるい見本として配られたと思ったのでしょうか。ところが、『今日の自学で一番いいです』と言ったら「えっ、」というような表情でその自学のいいところを探しはじめました。
 作文が苦手だと思っている子の共通点は「字をきれいに書くことが不得意」な子に多いと思います。この紙面では分かりませんが、先にあげた2人の子たちも字はあまり上手ではありません。
 文字をきれいに書くということは、とても大切なことです。しかし、そればかりを気にしていると文章が書けなくなってしまいます。
 自分の字をきれいにしようと心がけるのはもちろんいいことです。だからと言って、自分の字に自信が持てなくなり、作文を書けなくなったら本末転倒だと思います。
 作文の文字に関しては、『相手に読める字を書いてください。』と子ども達に言います。相手とはもちろん私のこと。一応教師ですから、たいていの子どもの字を読むのはそれなりの自信があります。
 漢字に対しても同じことが言えます。作文を書いているときに「先生、この言葉の漢字はどう書くのですか。」という質問がたびたびでます。しかし、私の答えは「分からない漢字はひらがなを使いなさい」です。どうしてかというと、分からない漢字を考えると、その時の文章のリズムが狂うからです。せっかく、リズムにのって文を書いているのに、そこでストップさせてしまうのはたいへんもったいないです。
 書きたかった漢字であれば、文章を書き終わってから、読み直したときに、その言葉のとなりにでもその漢字を調べて書けばいいのです。

 はじめに『文章を書くことが上手になるには、「書くこと」に対して抵抗を感じないようになることが一番大切です。たくさんの文章を書いて「書き慣れる」ことが一番なのです。』と書きました。書き慣れるためにはその書くこと自体からまず、抵抗感をなくすことから始めなければなりません。
 そこで、私は次のように考えます。

作文指導は書写指導といっしょに行ってはいけない。
 書写の指導と作文指導は切りはなして行う。

 人の良さを言うのにその容姿で判断するのではなく、その人の人格をもって判断するのと同じなのです。

■書いてくれたことをまずほめる
 そもそも「書くことそのこと自体がきらいなんだ」と言う子も実をいうといます。そういう子に対してはどのように指導していけばいいのでしょうか。
 私たちがやらないといけないことは、そういう子に対してにこそ、その子の作文を「ほめてあげる」ことです。「作文を書いた」このこと自体をほめたいです。ほめるということは、その子の成功体験を与えるということと同じ効果があるのです。そこからはじめて作文の指導ができるのです。