「書けない子をなくす作文指導10のコツ」を読む(3)
■■■作文指導は「指示」が命だ!「2.ハテナの文の指示をする」■■■
ハテナの指示は、書き出しを与える指導の変形である(p17)のように、書き出しを疑問文にして子どもたちに書かせる作文である。
例えば、「〜とは何か」という書き出しを与え、それに続く作文を書くわけである。
「書けない子をなくす作文指導」では「〜とは何か」の「〜」には上條氏は「クランボンとは何か」(p18)、「べんきょうすると頭がよくなるか」(p19)といった書き出しを与える実践を紹介している。
すると、書き出しを与えると子どもたちの作文は以下のような構成をとるという。(p19)
1.ハテナの文(学校で飼うのは、犬がいいか猫がいいか。)
2.主張の文(犬だ。)
3.証拠の文(犬は、見知らぬ人にホエる。)
4.理由づけの文(番犬になるからだ。)
さて、上條氏の作文実践の中で、「見たこと作文でふしぎ発見」(学事出版)がある。この「ハテナの文の指示をする」は見たこと作文において効果を発揮する。
見たこと作文を簡単に言うと、
1)見たことを作文に書く。
2)ハテナを見つける。
3)ハテナを追究する。
である。この3)の過程で、「2.ハテナの文の指示をする」が有効となる。
しかし、上條氏の実践はそれだけにはとどまらない。
子どもたちの「主張・証拠・根拠」のあいまいさをつくのである。
こういうあいまいさを持つ作文の中からおもしろい作文は生まれてくる。
ハテナのはっきりした作文も引き出せる。
子どもも教師も「証拠の文」に意識的になることである。
ポイントはあいまいさに気づくことである。(p27)
見たこと作文には、このように、普段からの書き出しを与える作文を子どもたちに書かせることによって、その書き方の技術を蓄えさせていたのである。
事実、この本のまえがきには、次のように記されている。
『「見たこと作文」の観点から指導技術の見直しを行ってきた』つまり、この「10のコツ」で書かれている作文技術は全て「見たこと作文」の指導技術と言っていい。
■書き出しを与える作文指導への批判
書き出しを与える作文指導でよく批判されるのが、「子どもたちの作文が似たり寄ったりになってしまい、個性を感じられない」というものがある。
これは、書き出しに限らず、番号作文、三つある式作文など、作文技術を教えると、決まって同じような批判があがる。
しかし、上條氏の答えは明快である。
「書き方の技術を2つ3つ教えても、子どもたちの作文は変化しない。しかし、その技術を10こ教えると、子どもたちはその技術を使い回すようになる(語録)」
また、次のようにも言う。
「例えば、番号作文でも、形式は同じであるが、その子の気づき方はその子独自のものである。形は同じであっても、その子の作文からしっかりと個性が読みとれる(語録)」
そして、書けない子をなくす作文指導10のコツ」のは以下のように述べる。
「作文が形式的になるというような心配は、あまりいらない。
子どもたちは、一つの形式に飽きてくると、勝手に書きやすい書き方をするようになるからである(p14)」
このように、書き出しを与えることからその子の作文の個性がなくなるのではない。むしろ、子どもの作文をどういう視点で読むかが問題となってくるのであろう。
■再び書き出しを与える作文指導
前回、書き出しを与える指導のよい点を次のように書いた。
1.子どもたちから書く抵抗をとることができる。
2.教師が書き出しの内容を選ぶことで子どもたちの作文の内容をある程度コントロールできる。
では、なぜ、書き出しを与えることが、子どもたちから書く抵抗をとることができるのであろう。
確かに着手の負担を取り除くことが一番大きな理由である。しかし、実はもう一つ理由がある。
それは、「型をまねる」ことである。型とは文章の構成である。文章の構成をまねるから書きやすくなるのである。
例えば、「ハテナの文の指示をする」では、まねることは一見始めの1行である。しかし、始めの1行を疑問文で書き始めたら、以下には「主張・証拠・根拠」という構成で書くことになるのである。つまり、子どもたちは書きながら、次に何を書けばいいのかが容易にわかるようになるのである。
もちろん、全員が全員そのような構成をとるとは限らないが、おおよそ、次に何を書けばいいのかを予測して書くことができれば「子どもたちから書く抵抗をとる」ことはできるはずである。
書き出しを与える指導とは、おおまかな構成を与える指導という一面を持っているのである
■参考文献
上條晴夫著「書けない子をなくす作文指導10のコツ」(学事出版刊1992年)
上條晴夫著「見たこと作文でふしぎ発見」(学事出版刊1990年)
2003年4月13日(実践!作文研究メールマガジン第166号掲載)